2011年5月27日金曜日

いまの気持ち

珍しく長文になりました

読んでもつまらない上に読み返してないので誤字脱字が多いと思われます、
出来れば読まないことをお勧めいたします

リアルな気持ちで毒もあるのできっと不快に思われる方も多々出てくると思うので

この度、
社長の後押しにより、
約6、7年間お世話になった北区つかこうへい劇団解散公演第三弾『ロマンス』に参加出来ることになりました

解散公演が決定した時から無償でもスタッフワーク的なお手伝いを名乗り出ようと考えていたのですが、
ありがたいことに4月に先輩からゲスト出演のお誘いをいただけて、
ただその出演が場当たりから参加でも大丈夫程度、
時間にして2、3秒程度の参加だったのです
(もちろん今現在のこちらの仕事や環境を考慮していただいた上でのお心遣いですが)

役者としての気持ち、
ガッツリ芝居させていただけるのならシッポ振って自ら社長にもお願いしていたのだろうけど、
自分の中でそのお祭り的な数秒に気持ちを注ぎ切れるのか、
いっそ誠心誠意受付なり会場のお手伝いをさせていただいたほうがよいのではないかと

迷っている間にお返事出来ないまま時間だけが過ぎてしまっていた或る日、
社長から「北区つかこうへい劇団の解散公演は何か手伝うの?」と聞かれ、
「そのつもりなのですがゲスト出演的なお話もいただいていまして」

社長「事務所のスケジュールは調整するから好きにしたほうがいい、何事もケジメが肝心だよ」

と言われ参加を決めました

…ものの、
参加するという事実だけ決めたまま、
しばらく心は迷っていて

そんな中、
劇団は飛龍伝の稽古に連日明け暮れていると聞き、
ふと頭の中で葛藤が始まったんです、
古傷をビシバシえぐられました

『飛龍伝』、
てのは僕にとって因縁の作品なんです

飛龍伝との出逢いは10年近く前

実は僕は劇団員として残れる3年前にも劇団の研修生として稽古していたんです

その年は夏に内田有紀さん主演での飛龍伝が控えていたため、
飛龍伝のダンスやアクションなどの要員として例年より多めの研修生が入団していました

4月に入団して、
6月頃からかな?飛龍伝の稽古が始まって、
つか先生が入られる前にダンスやアクションなど回りを固めるような稽古が何週間かあって、
いざ先生が入られた新しい稽古場の初日、
2、3時間緊張感のある稽古があった後、
先生からダンスの古賀先生へ衝撃の一言、
「多いから10人くらい外してくれ」

これから通うと意気込んでいた稽古場から駅までのまだ慣れない道を帰りながら流した涙は今でも覚えています

ちなみに僕はその年の飛龍伝が今でも1番好きです、
作品というより内田有紀さんの相手役を務めた小川岳男さんがハンパなかった

結局その年は劇団員に残れることもなく、
僕自身も劇団には未練がなかったんです

1、2年くらいしてからかな、
研修生で同い年だった同期で劇団員に残ったO君から主演やるってお知らせがきて、
観に行ったらものすごく悔しくて

で次のオーディションまでの2ヶ月、
先生の本を読み漁って、
バク転の練習して

1、2次オーディション合格して、
また晴れて研修生になれて、
若かった無知な3年前とは明確に違う努力をしました

今思えば人生で1番、
回りを気にせずがむしゃらにもがいてた1年だと思います

古賀先生から「痩せすぎだから太れ」と言われて、
毎日1日牛乳2リットル飲んで10キロ増やしたり(笑)

劇団員になりたいという明確な目標の中、
確かな手応えやその年の講師を務めてくださった小川岳男さんから気に入られているだろうなということから、
嫌な言い方をすれば自分の中では必然的に劇団員に残ることが出来て

ただ3年という月日は、
つか先生の中にも当然流れていて、
今思えば体調がおもわしくなかったのか中々稽古場に顔を出されなくなってしまっていました

つか先生とお会いする機会もなく、
劇団員になる目標にがむしゃら過ぎて正直少し燃え尽きながら芝居を続けていて、
1年くらいかな、
初めて先生の前で芝居をする機会がありました

飛龍伝の続編として先生が書き下ろししていた台本の本作りの段階で代役としてでしたが、
必死でやりました

自分でもこんな自分がいたんだと驚くくらい無我夢中にやって、
笑っちゃう表現だけど自分こんなやれちゃうんだと、
人生で後にも先にもあれほど芝居やってて楽しい瞬間はありませんでした

稽古場にいらっしゃるだけで本当に緊張の糸が具現化して見えちゃうくらい空気を変えてしまう方で、
役者に何でも出来てしまうという気持ちにさせてしまいます

その日の稽古終わりに名前を聞かれた瞬間の高鳴りは未だに忘れられません

それから殺陣要員として紀伊國屋ホールや地方にも連れて行っていただけるようになり、
自分の中で少し自惚れてしまう時期が訪れてしまいます

そんな時期に錦織さん主演の蒲田行進曲にキャスティングされました、
自惚れていたので当然役をいただけると勘違いしていました

つか先生の稽古場は稽古場に居れることが最大のチャンスであり自分次第で稽古場で役を掴むことも出来ます

ただその時の自分は過信していましたから、
台本に台詞がないことで堕ちてしまいました

多分1番やり直したい作品です

ただ、
その時期も含めてその後の自分がいることも確かです

そして自分の今後を考える時期に突入します

そこで一度映像系の事務所のオーディション等を受け始めます

沢山オーディション受けて、
受かったり落ちたりする中で、
受かってもどこか踏み込めなかったり、
なんとなくタイミングが合わない中で、
蓮見さんという自分の劇団の中での存在位置を作ってくださる方との出逢いがあったりする中で、
少しずつ劇団での楽しみも見出だせていって、
そこから劇団にいながら外部の作品にも挑戦してみたりして

そして去年2月の黒木メイサさん主演の飛龍伝の稽古場に呼ばれました

リベンジ飛龍伝、
何がなんでも千秋楽まで立ち続けてやろうと思いました

一昨年の10月頃にはダンスやアクションなど動き始めていて、
12月いっぱいで演出助手の方の元で通しが出来る状態からの、
ついに年明けからつか先生の登場でした

初日からその時点で僕が唯一与えられていた台詞がなくなったり、
後輩の下剋上が起こったり、
僕自身も稽古場1番乗りを狙って先生にアプローチしたり、
充実した時間でした

皮肉にもそんな時間は長くは続きませんでした

わずか1週間で先生は稽古場にいらっしゃらなくなりました

そこからは先生が病室から電話で演出をつけながら、
稽古場では演出助手の方が演出を引き継ぎました

きっと2、3年前だったら自分もまた堕ちていたと思います

ただその時の自分は、
それ以降も先生が稽古場にいらっしゃるという気持ちで稽古に臨みました

東京公演1週間前くらいになり、
台詞をいただきました

がむしゃらにやりました

稽古場初日は空回り過ぎて台詞ぶっ飛んでカミカミでした(笑)

でも、
楽しかったぁ

生きてることを感じました

それから新橋演舞場、
名古屋、京都、広島、福岡千秋楽まで1ステージだって消化試合はありませんでした

入団当時憧れていた先輩が福岡公演を観にいらしてお前良かったよと言われた時は泣きそうになりました

東京に戻ってきて、
次の目標は決まりました

つか先生が最後まで演出をつけられる飛龍伝で千秋楽まで立っている

それから4ヶ月、
先生は還らぬ人となりました

連絡を受けてすぐは全く実感がありませんでした

劇団から連絡があっても、
何度ニュースを見ても、
色んな人から連絡もらっても、
少しもリアルになりませんでした

その時は少ししたら先生が嘘だよと笑ってまた帰ってくると思っていました

ちょうどその時期、
ハムレットで主演公演に向けて稽古中という余裕のなかったことも現実から目を背けさせてくれていたのかも知れません

勝手ながら自分の中でハムレットを追悼公演と位置づけることで悲しみのベクトルを相乗効果に変えて千秋楽まで走り切ってやりました

からっぽになりました

千秋楽終わって1週間くらいして、
気付けば本番をやった街にいました

ぽろぽろぽろぽろ涙がこぼれてきました

あぁ、
見ないフリをしていたんだ

自分頑張ったなと自分で自分を褒めてやりました

劇団では夏の舞台が中止となり、
何度か劇団で話し合いが開かれて、
復活公演として飛龍伝をやることになりました

やったろうと思いました

つか先生がいらっしゃらない=本が変わらない=………という現実は解りながらも、
死に物狂いで、
今までの感謝の気持ちでやってやろうと

実際、
今日の今日までベストを尽くしたと思っていたんです

だから2月に地方公演まで何度もわざわざ役もない僕を観にいらしてくださった方に、
その飛龍伝の僕を観て「何か解らないけど伝わりませんでした」と言われたこと、
打ち上げの席で、
みんなに退団を発表した時に、
「あぁ、だと思った。それが芝居に出てたよ」と古賀先生に言われた時は、
正直「はぁ〜!?」と思ったんです

いや、
ベスト尽くしたし、
ちゃんと他の方からは評価いただけているしと

だけど今回、
解散公演参加を決めた時、
何故か改めてその2つの言葉が胸をかすめました

そして気付きました

ベストだと思ってたそれはベストじゃなかった

上手く当てはまる言葉が見つからないけど、
2月の飛龍伝と最後の飛龍伝とでは自分のスタンスが違う

多分2人は2月の僕を見ていたからあの言葉をぶつけたんだと思います

それはつか先生がいない現実はもちろんだけど、
直前にシェイクスピアで評価を得られたっていう過信とか、
多分色んなものが邪魔してた

だから今回は再リベンジ

つか先生がいると思って、
てのはいらっしゃる時の存在感が強過ぎて無理だと気付いたので、
まだ方向性は見付かってないけど、
恩返ししたい

1年目の夏はもうそこまで近付いています

瞼を閉じるとまだ、
「お前名前は?」とおっしゃってくださった先生が生き続けています

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